2015年6月24日水曜日

タンゴの日とカルロス・ガルデル

タンゴの日とカルロス・ガルデル
今日12月11日は「タンゴの日」
この日はタンゴ歌手界の最高峰人物である
カルロス・ガルデルの名誉を讃える日である。
...
「タンゴの日」は足で表現していた古きブエノスアイレスの
タンゴ時代に彗星のごとく現れた カルロス・ガルデルが
この単純な音楽に稀に見る美声を駆使し、歌に生命力を
与える解釈を付けた功績は高い。

 ところでいろいろな説があるが、世に知られている
生年月日は1890年12月11日とされているのだが、

この日はガルデルの本当の誕生日ではない。
彼ガルデルがコロンビアで魔訶不思議な飛行機事故で
命を落とした後にアルゼンチンからメデジンに来た
彼の財産管理人アルマンド・デフィーノなる人物が
偽造したガルデルの遺言書に書かれた日付けである。

 遺言書は手書きで書かれており、ガルデルの
サインまであるが一目見れば偽造されたと明白する。

 それは本人の筆跡とはまるで違う汚い殴り書き
の上にサインもガルデルの筆跡に似せているが
専門家でなくとも偽物と判明する。

 書かれた日付けは1933年11月7日とあるが、
不思議にもこの日はガルデルがフランスに旅立った日。

その前日にモンテヴィデオ郊外に購入した土地の
公正評書や自家用車を友人レギサモに譲る名義書き
換えにデフィーノと公評役場に届けをだしたにもかかわらず、

この遺言書には正規の手続きをした形跡がないのである。
さて、彼カルロス・ガルデルの生まれた日は自身が

ブエノスアイレス在ウルグアイ領事館に届けた日は
1887年年12月11日にしてある。

 1933年の誕生日に49歳になつたと友人達に白状して
いるので1884年生まれが正しいのではないか。
ウルグアイ人の伝記家は1881年11月21日生まれだと
記録を残している。

しかしながら、真実は誰も知る者はいない。

オラシオ・フェレール作詞
ファブラ・パラ・ガルデル(ガルデルの為の寓話)」
を追悼の意味でここに捧げる。

きのう、初めて...お前は俺に尋ねたよな、

わが子よ。誰だい、ガルデルて奴は、幽霊のようなあいつ。

頑固なまでに、

ほこりまみれのレコードにうずまる洞窟のなかのベールの淵に。

あまりにも気難しそうな奴。

俺の知る彼は、お前に語ろう。

お前の親父と少しばかり話そうと、

半きちがいの,

半おどけの、

お化け野郎が。

悲しみにあふれた夜の、お前の夢の中に、

隠れたあいつが、マテ茶を回す如きあらわれる。

あゝ、かすかなエレガントな幻覚な姿が見えればの話だが、

彼を知るためには、マント襟たて勇ましく、

羽根飾りネックと軽いネッカチーフをなびかせ、

彼の装いはスペイン・ギターの弦編み、

それは邪悪な魔女的ヒッピーが織り込んだ衣装をまとう。

ネクタイはかがやくカーネーション色、

鈴のような声で羽織り、

至極素敵な靴を履く、

それは靴ではなく旅する天国へ、

 

何処からこの世に来たのかい? 

でも、俺のはしらないぜー!

 誰かが語る故によると、

ともかく、

南に狙いつけた乙女ヴェレタによじ登り生まれたようだ。

そして、どんな詩人の,

そして、一輪の闘鶏、

そして、占い僧官、

教えられた生きる道と微笑み、

 

歌う、歌う、七色声で叫び歌う、永遠に歌う、
その喉で、二つの瞳、芸達者に、
見定めた男としての、持ち前の謙虚なスタイルで、
お前に言おう、彼の歌スタイルは、
どこからか湧き出る清い泉、
タンゴ野郎がまだ歌わない、
語りつががれた何もない過ぎ日のあのタンゴ時代、
ときはすぎ、

 

きのう、初めて...お前は俺に尋ねたよな、

わが子よ。誰だい、カルリートスて奴は、
幽霊のようなあいつ。

頑固なまでに、

ほこりまみれのレコードにうずまる洞窟のなかのベールの淵に。

あまりにも気難しそうな奴。

俺の知る彼は、お前に語ろう。

ガルデル、ガルデル、ガルデル...