2012年4月21日土曜日

ガルデルの一世紀前の初録音曲(1)




ここで時計の針を少し逆戻りさせるとしょう。今から丁度一世紀前にタイタニックの悲劇が起きた時も同年1912年4月の頃ブエノスアイレスの下町アバスト街に現われたある青年の存在に陽を当てるとする。彼の名が世間にそこそこに知れ渡り始め,売り出し歌手の仲間入りをしたばかりの目立たぬ存在であった“メレーナ(長い髪)”と呼ばれた一歌手ガルデル青年はタジーニ商会の開業開始真もない至極簡単かつ初歩的な録音スタジオへ友人のクリオージャ歌手のサウル・サリーナに連れて行かれた。そこで彼は歴史の幕開けの運命的一役を引き受ける境遇になる。

そして,『一人のメレーナ青年と彼のギター』は...
一人のメレーナ青年,歌手になる抱負と共に「歌に生きる本望は覚悟に値するか?」と自己に問い聞かせた彼は,モケット張りされた天井から垂れ下がる電球からの淡い光が差す分厚い絨毯に敷きおわれた小さな部屋のスタジオで録音合図を待つ間に彼の熱望を微笑に紛らわせながら,,,

彼の初めてとなるレコート録音の瞬間は...! 
「二度の繰り返しのチャンスはないと思う心がけで録音合図に最大限の注意を集中する様に」と直前に強く言い渡されていた。
手に汗が滲みシャツとジャケットをぬっとりさせる。
ネクタイを心待ち緩め,
ギターの弦のチューニングをとり,
三脚に取り付けられたマイク(実際は巨大なラッパ風の器械)の
前後に口を近付け少し身構える。
分厚いカーテンの後ろから録音技師が覗きだす。 
『いいか!今はじめるぞとばかりに合図の決定的瞬間に
“アオラ・シィ!(今だぞ,OK!)”と掛け声が放たれる』。
ガルデルは上体起立の上,目を閉じ,空気を一息吸い,
偉大なガウチョバジドール・スタイルの様にギターを右腕の下に硬く抑え持ち構え,
その旋律に合わせスタートする。

彼の口元から張りのある澄んだ男性的美声が一々の文言詩を唱え始め...
『彼の喉から詩が弾き飛ぶ!!!』...
Sos tirador plateao /お前さんは銀の幅広ベルト
que a mi chiripa sujeta , /俺の握るチリパゆえ
sos eje de mi carreta , /俺の牛車の軸,
sos tuses de mi tostao , /黒髪馬のたてがみ,
sos panuelo bordao /俺の刺繍ハンカチ
de un pobre gaucho cantor … /その哀れな歌い手ガウチョ...

“ソス・ティラドール・プラテアオ”の小曲ナンバーは三分後に完了した。この三分が音楽界の歴史の始まりの幕開け,そして最初の百年を迎える...これが彼ガルデルの史上最初のアクスティク録音の“歌”の小さな小さな物語。
注記:“ティラドール・プラテアオ”とはほんの一握りの“特権ガウチョ”が使用した銀製の飾り付きの豪華なバンド。ガルデルは常にこのハンドを愛用していた。“チリパ”とはガウチョの装飾チョキの様なもの。“トゥセス”とは馬のたてがみ。“トスタード(トスタオ)”とは焦げたと言う意味になるがこの場合は“褐色馬”を指している。 

  “長髪の新人”がサリーナスの好意で紹介されたタジーニ商会とのレコード録音契約の約束に無事達する。それは15曲歌唱の独占権を全額180ペソで取り決められた。しかしながらタジーニ氏は契約書にサインされた“カルロス・ガルデル”の著名は法律的には無効に成る事に気がつかぬままに月日が過ぎやがてタジーニ商会は『アトランタ』レーベルと同じ運命となり1917年に倒産した。

『誰もサインしていなかった契約書』
その書類は明らかに疑わしく,何らかの合法的効力を所有維持が実存しない人物(ガルデル姓)の名義であった。しかし,“ガルデル姓”は世の万人の承知の通りで不思議にも何人も彼の本姓を知らないのである。その疑わしい書類にガルデルは1912年4月2日から,1917年4月まで5年間のタジーニ商会との契約で『すでに録音した同じ曲のレコード化禁止』の条約はガルデルにとって至極不利な条件が含まれていたが彼はこの契約をしたすら守り,マックス・グルクスマーン商会での録音再開まで如何なるレーベルへのコード録音はしなかった。そこで再開したレコード録音は図らずともレパトリーの中に光彩を得た“ソス・ティラドール・プラテアオ”(原盤#18007B)が取り上げれていた。また,ガルデルは1933年ヨーロッパへ向けて出発する前に“エル・ティラドール・プラテアオ”(原盤#18902B)と改名した同曲を彼最後のラ・プラタ地域のフォルクロリコ(民謡曲)として録音した。
(注記):この項はガルデルのデビュー曲“ソス・ミ・ティラドール・プラテアオ”,マルセーロ・マルティーネスがガルデル・エス・コムに寄稿した文より構成した。

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2012年4月20日金曜日

カルデルのCDシリーズ:CD-3/16~19曲

⑯:アイ・アウローラ(アィ・あけぼの/女性の名前)/ヴルス・クリオージャ(ワルツ)/作曲:ガルデル-ラサーノ/作詞:フェリクス・スコラッティ・アルメダ/歌:ガルデル-ラサーノ/1919年5月9日録音/原盤#18016A/この曲と“アィ,エレーナ”,前曲⑭“ラ・ジャゲシータ”はフェリクスとガルデル-ラサーノ等がチリー公演した時に知り得た民謡を基にモチーフにした曲々である。/

Ay Aurora ! , me has echado al abandono . /アィ,アウローラ!おれを見棄てて
lo que tanto y que tanto te he querido /それゆえに,それゆえにお前を愛す
Ay Aurora ! , me has echado al abandono . /アィ,アウローラ!おれをみすてて
lo , que tanto y que tanto te he querido /それゆえに,それゆえにお前を愛す
y tu negra traicion me echo el olvido /おまえの陰鬱な裏切りは忘却の彼方に
Ay Aurora ! si te amo todavia /アィ,アウローラ!そうだ,いまだに愛している
mas yo no puedo castigarla como debo esa falsia /
castigala , Senor con todo tu energia ! /懲らしめろ,すべて力任せに神様
que sufra mucho pero que nunca muera /大いに苦しめ,だが決して死なせるな
mas no pretendas recuperar el trono , /二度と王座への回復の試みさせるな
que tenias en mi pecho y lo has perdido /わが心をとらえていたが,それをも失った

⑰:デスデ・エル・アレーロ(ひさしから)/エスティーロ/作詞:ホセ・ラサーノ/作曲:カルロス・ガルデル/歌:ホセ・ラサーノソロ/1919年5月9日/原盤#18016B(“アィ,アウローラ”の裏面)/この曲も原盤リストには載ってない。

Estar muy cerca de ti /俺はお前の脇に居る
vengo a decirte la cuita . /悩み打ち明けにやってきた.
Que en esta duda parpita /この疑念がちらつくゆえ
y en la llanura feliz . /平坦な幸せに

Para cantarte naci /俺は生れる歌うため
en las flores del platio /白金の花々
tras bellezas de estio /晩夏美の彼方に
tanto del tuvo al donaire /あでやかなほどに
como esas flores del aire /あの風の花々のように
nacidas para amorio . /情事溜めに生れ来た.
Yo naci para cantar /俺は歌うために生れた
tus frescuras de capullo ; /つぼみ瑞々しき;
como el vibrante murmullo /感動の呟きのように
que te estoy viendo al pasar . /過ぎ去る姿を妄想した.

⑱:アイ・エレーナ/ヴルス・クリオージャ(ワルツ)/作者:ガルデル-ラサーノ(作曲:フェリクス・スコラッティ・アルメイダ)/歌:ガルデル-ラサーノ/1919年5月9日録音/原盤#18017A/

Al pasar un dia por /ある日通り過ぎ去る
entre los Rosales /バラの花々の中
del hermoso cerro de /美しき丘の
Santa lucia /サンタルシア
habia un jilguero /しわ鳥がいた
encima una flor /花の上に
que ansioso cantaba /歌い熱望
sus cuitas de amor . /あいのくるしみに

Ay , Elena del alma , /アィ,命のエレーナ
por Dios te lo pido /お願い請う神様へ
me des una rosa , /バラを捧げたまえ,
me des clavel ! /クラヘルを捧げたまえ!
el pajaro canta , /鳥はさえずり
el brisa sonrie /そよ風は微笑む
y el arbol se mece /そして,器までゆれ動く
con suave armonia , /まろやかなハーモニー,
el campo despide , /野原は見送る,
fragante su aroma /かの香気香りよさ
y alla en el oriente /東にてのあそこに
se asoma la aurora . /オーロラが覗き来る

⑲:ケ・スエルテ・ラ・デル・イングレス(イギリス人の運命は)/エスティーロ/作者:ガルデル-ラサーノ/歌:カルロス・ガルデル/1919年5月9日録音/原盤#18017B/この曲も“エル・パンガレ”の原作者“ニャト”と呼ばれたウルグアイ詩人のアルシデス・デ・マリアに帰属する叙情詩をガルデルが掌握して自作として発表した。

Perdona por la manera /そんなわけで赦しておくれ
con que te canto mi cielo /おれの素敵な人に歌おう
hoy que buscando un consuelo , /今,慰めもとめ
me hallo en presente pueblera . /この村人の中に俺はいる
Dejame hablar , no quisiera /言わせておくれ,望みもないが
que te fueras a ofender , /お前を傷つけるなんて
esperate vas a ver me han calentao las orejas /期待しろよ俺のうわさ事
y es justo que tanta piezas /まさしく余りの代物に
yo te las haga saber . /俺が思い知らせよう
De juro que te has pensado /誓うぜお前を思い込む
tomarme pa rascadero /怒りがわれに襲いこむ
por cualquier majadero dejame nomas plantao . /誰彼も無理な戯けをやめてくれ


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2012年4月16日月曜日

ガルデルのCDシリーズ:CD-3/12~15曲目

⑫:ラ・パストーラ(羊飼い娘)/カンシオン/作者:サウル・サリーナス/歌:ガルデル-ラサーノ/1918年8月28日録音/原盤#18014A

Apena nace la aurora /あけぼのが生えたばかり
ya viene el alba del dia . /今日の朝空けがもうやってくる
Apena nace la aurora /あけぼのが生えたばかり
ya viene el alba del dia . /今日の朝空けがもうやってくる
Ha bajado una pastora /羊飼い娘が降りてきた
al pie de una serrania . /山から歩いて
Ella trae unos papeles /彼女はあるうわさ話を伴って
con la histria de su vida . /彼女の身の上物語とともに
y mientras los va leyendo /読んでいく内に
se va quedando dormida . /眠気に落ちこんみ

Era de esmalte y de piedra /エナメルと石のような
la casa donde habitaba , /住んでいた家は
era de esmarte y de piedra /エナメルと石のような
la casa donde habitaba ; /住んでいた家は
no la pintaran pinceles /筆で塗ったのでなく
tan linda como ella estaba . /彼女が余りにも美しくかった様に
Pobrecita la pastra /可哀想な羊飼い娘
que ha fallecido en los campos . /野原で命落とし
Pobrecita la pastora /可哀想な羊飼い娘
que ha fallecido en los campos . /野原で命落とし
Que Dios le conceda gloria /神よ与えたまえ至福を
por haber sufrido tanto . /苦しみ多き故
Que Dios le conceda gloria . /神よ与えたまえ至福を
por haber sufrido tanto . /苦しみ多き故

⑬:スエナ・ギターラ・ケリーダ(いとしのギターは響く)/エスティーロ/作者不明(ガルデル-ラサーノ)/歌:カルロス・ガルデル/1919年5月29日録音/原盤#18014B/
当時この曲を歌ったディエゴ・ムニージャは彼の作品だと主張するが。この原盤のラベルには作者はホセ・ラサーノ-カルロス・ガルデルとある。あの時代において別の演唱が存在し,また違うメロディーでも歌われている。それらは“ア・ミ・ギターラ(我がギター)”か“ギターラ・ケリーダ(いとしのギター)”と呼ばれたが,いずれも似通った内容の唄であった。この曲“スエナ・ギターラ・ケリーダ”を歌うガルデルの演唱はまさに際立っている。 

Suena guitarra querida . /いとしのギターは響く
que tu acento soberano /それはお前のこの上ない見事さ
repercute por el llano /鳴り響け平原に
como un ay …! de mi alma herida … /嘆きの如く...!わが傷ついた魂...
suena , suena que es mi vida , /響け,響け,それがわが命,
flor marchita y sin esencia /香りなく色あせた花
busco en la muerte querencia … /愛着の破滅に求め...
Nada en el mundo me halaga /世は何もわれ満足させぬ
porque siento que se apaga … /何故か消えうせる如き...
porque siento que se apaga … /何故か消えうせる如き...
el candil de mi existencia . /われの生き方の炎

Cuantas veces carinosa /幾たびの慈しみ
mi patrona te templo , /われの恩人は調弦する
y a sus cuerdas arrimo /そしてかの弦は寄りかかる
sus frescos labios de rosa . /かの生き生きとしたバラの言葉
Como diciendote Hermosa /魅惑あふれと投げかける様に
de mi gaucho companera , /わが道連れのガウチャ
te saludo placentera /清々しい挨拶をお前に
y una dulce Vidalita … /そして甘いビダリータ...
Dejo a mi alma mas blandita /わが安らぎの魂をたくそう
dejo a mi alma mas blandita /わが安らぎの魂をたくそう
注記:ビダリータとはアルゼンチンの哀愁帯びた地方民謡である。

⑭:ラ・ジャゲシータ(あばずれ娘,子雌馬)/クエッカ(チリー民謡)/作者:ガルデル-ラサーノ(作曲:フェリクス・スコラッティ・アルメイダ)/歌:ガルデル-ラサーノ/1919年5月9日録音/原盤#18015A/

Yo tengo una yaguecita /おれはあばずれ娘を抱えてる
muy buena pa’tirar , /引っ張る為には幸都合,
que cuando la ato a la vara , /棒を引く時,
no la puedo hacer andar . /動かす事もまま成らない.

Ah ,yegua , ah , manca , /アィ,暴れ雌馬,アィ,駄馬
ah yegua rabona y flaca ; /アィ,痩せで寸づまりの暴れ雌馬,
velay con la yeguecita . /あばずれ娘と共にベライ.
Fiera , petisa y bellaca . /いたすらっこ,小柄で御しにくく.
Yo tengo una yeguecita /おれはあばずれ娘を抱えてる
redonda como una bola ; /まん丸でボールのよう;
tiene una peladuria /ひとつの傷跡があり
desde la cruz a la cola . /尾にかけて十文字.

Yo se acabaron las trillas /痛めつけられたのは知っている
y podemos ir dentrando , /それで中に入ろう,
y remoler hasta cuando /そして何時までも粉引きこなす
digan basta las chiquillas . /これまでと言えよ可愛い子よ ,

⑮:コモ・キエレ・ラ・マードレ・ア・スス・イホス(母がこども達を慈しむにように)/ヴルス・クリオージャ(ワルツ)/作者:ホセ・ベティノティ/歌:カルロス・ガルデル/1919年5月9日録音/原盤#18015B/

Como quiere la madre a sus hijos /母がこども達を慈しむように
con la fe sacrasanta del alma , /サクラサンタ(神聖)なる魂とともに,
yo te amo , aunque sea un pecado , /あなたを愛する,過ちになるとも,
con todo el carino de todo mis ansias ; /わがあらゆる切望的なすべて丹精込めて;
yo te siento alli en mis venas , /わが衝動にあなたを心とらえ,
y en mi mente te llevo grabada /そして,わが脳裏に刻まれる
como queda grabado el recuerdo /思い出に刻まれる様にとどまる
del ser mas querido , que nunca se aparta , /親愛より相応しい,決して離れがたく,

Es en vano , yo soy tu cautivo /それは虚しくも,われは貴女のとりこ
desde cuando escuche tus palabras , /貴女の呟きことばを耳にした時から,
que de noche no duermo y pedezco , /疲れ果て,そして眠れぬ夜
pensando en la gloria de alguna esperanza . /考え果てき栄光を望みいだき.
yo no se que misterio insondable ,/不可解な神秘を私は知る事なく,
encontre en tu divina mirada , /あなたの神聖なるまなざしに見とどけ,
que no puedo olvidarte un momento , /一時もあなたを忘れ事なく,
que me hallo muy triste , que vivo sin calma , /ふかき哀れに気づき,安らぎもなき暮らしを,



2012年4月7日土曜日

ガルデルのCDシリーズ:CD-3/11曲目


⑪:ミ・マードレ(我が母)/別題:ア・ミ・マドレ(コン・ロス・アミーゴス/我が母へと友人達)/カンシオン/作者:ペドロ・パラシォス“アルマフェルテ”(強靱な根性)-カルロス・ガルデル/歌:カルロス・ガルデル/1918828日録音/レコード番号#18013B/この曲はアンドレス・セペダの同名曲(CD111曲目)とは別の曲になる。また,エクトル・ロレンソ・ルシィー刊行,オルランド・デル・グレコ著作“カルロス・ガルデルの歌曲集とその作者達”によるとペドロ・ボニファシォ・パラシオスは作者の一人だと言うのはガルデルの見解だと記されているが,史実は摩訶不思議極まりなく,これは間違いだと言う。このレコードが発売された当時は創作作品を版権登録できる作曲,作詞家を保護する協会的組織は存在せず,記載されたデータは時として間違いをも活字になり後世に語り継がれた。ここでトードタンゴ・コムにリカルド・ガルシア・プラジャ氏か寄稿した“ア・ミ・マドレの真実の作者”から謎を解くとしよう。『あの当時ポピュラー雑誌の“エル・アルマ・ケ・カンタ(魂が歌う)”に“ミ・マドーレ”の歌詞が最新流行のテーマとして,また創作者名がカルロス・ガルデルとホセ・ラサーノ及び作詞者としてバラシオス“アルマフェルテ”の名が編纂記載された。しかし,人は正直であろうとするのは必然的で,この詞は“アルマフェルテ”に帰属するものではなく,詩作は彼には無関係であると主張する人物がいた。それは詩人エドアルド・モレーノで,彼は真実をフアン・ホセ・デ・ソイサ・レィイリー記者と会話した時に確信する。記者はラ・プラタのパラシオスの家でインタビューした時に彼は“かの創作”は自分の作品では無いと正直に否定したと評言したと言う。一方,タンゴ研究家リカルド・オストゥニ氏の著作“カルロス・ガルデルとアルマフェルテ達はコンピでは無かった”の中でパラシオスの詩的な特徴の本質的学説を行い。そして,ロブレス著名のある“ウルティモ・アべス(*)・デ・ウン・バルド(流れ者最後のバルド)”なる詩に脚光を当て,この詞句はカンシオン“ア・ミ・マドレ”と全く同一の詞である事実を発見した。“アルマフェルテ”はロブレスのペンネームを名乗った事は決して無く,いつも隋一名目上のあだ名を使っていたという。しかし,この時点ではロブレスたる人物のデータは残念な事に明らかに不足である。だが,前提のオストゥニ氏がナショナル図書館で入手した189611月発刊の雑誌“ビリック・バラック”の提供コピーが手元にあるが,それに記載された詩句に我々は好奇心の虫に刺されたようだ。最初に結論づけたのは創作時に関する事項で,この詞は1896年に発表されていた事実とア・ミ・マドレと同曲と思われる詞がガルデルにより歌われた時期より十分過去(20年以上前)になり,この人ロブレスはペンネームではなく紛れも無い生身の人間である可能性が出て来た訳だ。今日現在(2010年)ベネゼーラ文学のページをインターネットで捜索したところ,更に未知のベールが剥がされた。我々が知りえたのは作者の姓名セバスチャン・アルフレッド・ロブレス,ベネゼーラ生まれ,記者,作家,詩人で1885年に初版した“ラ・フラテルニダー・リテラリア(文芸の同胞)”新聞のディレクター及び共同創立者。後日即に我々が別に発見したデータによると(この証拠は事実と認めるのに充分だ),スペイン国立図書館にて同じ詩と著名を“ラ・エスパニャ・モデルノ(モダンスペイン)”誌の1893年発刊号に見い出したのである。それは撒きれもなく“ビリック・バラック”誌よりは3年前の事。結論としてエドアルド・モレーノの信念とリカルド・オストゥニの推測と我々の好奇心がめでたく,この章の最終に着きかけたが未だ不完全である。“ア・ミ・マドレ”の真の作者名と国籍を見つけ出したが,セバスティアン・アルフレッド・ロブレスの人生と経歴上の詳しい理解への対決がまだ残っている。』

注記:これらのデータはトードタンゴ・コムを参考にした文章である。しかし,小生の頭の隅には些細な疑問が湧き出てくるのを抑える事ができない。かの作品がカルデルと“アルマフェルテ”の共同創作では無かったのならば,如何なる人物とコンビを組んだのか。カルデルはロブレス作と全く同じ詩句を如何なる方法で発見してレパトリーに取り入れたのだろうか?。これはもう一つの大きな謎である。それともガルデルは1896年発刊の雑誌“ビリック・バラック”を読んでいてロブレスの原作を知っていた可能性も想像できるが,それは情報収集の困難な時代の当時においてガルデルが日ごろから自分が歌う作品の発掘に非常に長けていた証拠にもなる。

(*)原文にはayes(こんな言葉はない)とあるがaves(鳥,流れ者)の間違いと思われる。(**)Bardo(バルド):トロバドール

Con los amigos que el oro me produjo /友達とともに俺が齎した富
las horas con afan pasaba yo /時と共に俺は切望を克服する
y de mi bolsa al poderoso influjo /俺の財産は強力に影響する
todos gozaban de esplendente lujo /贅沢豪奢を皆味わい
pero mi madre , no ! /だが我が母は,違う!

Pobre madre !... Yo de ella me olvidaba /可哀想な母!...彼女を俺は忘れていた
cuando en brazos del vicio me dormi /悪習の威力に怠る時
un inmenso cortejo me rodeaba /酷い媚びへつらいに俺は取巻かれていた
de mis afectos a nadie le faltaba /わが情愛は誰にも不足くなく
pero a mi madre …si… /だが我が母には...断じて..
Hoy maribundo , el lagrimas deshecho ! /俗世間あり,くるしみ荒れて
exclamo con dolor , todo acabo , /痛みと嘆き,すべては終わる
al ver que gime mi angustiado pecho /わが心情苦しみ苦悶悟り
todo se alejan de mi pobre pecho /わが哀れな心
Pero mi madre , no ! /だが我が母は,ちがう!
Y cerca ya del ultimo suspiro /それにもはや最後の嘆息に迫り
todo se alejan por lo que hay en mi /皆は俺に存在するものから離れ
la vista en torno de mi lecho giro /わが転落巡りを一瞥
en mi triste derredor a nadie miro /わが敗北の悲しみに何人も目もくれず
Pero a mi madre … si … /だが我が母は...いや違う...

2012年4月5日木曜日

ガルデルのCDシリーズ:CD-3/10曲目

⑩:アィ,アィ,アィ /カンシオン/作者:オスマン・ペレス・フレイレ(チリー人)/歌:ガルデル-ラサーノ/1918年8月28日録音/レコード番号#18013A/ガルデルはオスマン・ペレスとは1913年の夏に“アルメノンビジェ”のマネージャ,ドン・パンチョ・タウレルの紹介により彼と知り合い,そこで彼のピアノ伴奏でガルデルは“アィ,アィ,アィ”を歌う。そして,ペレスはガルデルの歌唱を指導した極少ない師匠として,この曲の極意を伝授している。だが,この録音においてガルデルはペレス作の“コモ・アゴニサ・ラ・フロール(花が萎れるように)”の様に自前のスタイルにアレンジをしている。内容はセレナータ(セレナード)で恋人の住む家の窓際かその下に近ずき切なく愛を打ち明ける歌なのだが,この歌の場合は空しくも彼女の心をとらえられずして,失恋の憂き目に終ったらしい。

Si alguna vez en tu pecho /お前の胸にもしこれまでに
Ay , ay , ay , /あぁ(嘆き),あぁ,あぁ,
mi carino no lo abrigas .. /俺の慈しみが報えない...
Si alguna vez en tu pecho /お前の胸にもしこれまでに
Ay , ay , ay , /あぁ,あぁ,あぁ,
mi carino no lo abrigas . /俺の慈しみが報えない...
Enganalo como a un nino , /おさな子の如き惑わせろ
pero nunca se lo digas . /しかし決して他言しないこと
Enganalo como a un nino /おさな子の如き惑わせろ
ay , ay , ay , /あぁ,ふぁ,ふぁ,
pero nunca se lo digas . /しかし決して他言しないこと
El amor mio se muere , /かのわが愛は衰え果てて
Ay…. ay… ay… /あぁ,あぁ,あぁ,
y se me muere de frio . /そして寒さに衰え
El amor mio se muere , /かのわが愛は衰え果てて
Ay… ay… ay… /あぁ,あぁ,あぁ,
y se me muere de frio . /そして寒さに衰え
Porque en tu pecho de piedra , /なぜかってお前の心は石の如く
tu no quieres darle abrigo . /お前は温き保護の捧げを拒絶する,
Sone que el fuego se helaba /炎は冷えつき夢に見る
Ay , ay , ay , /あぁ,あぁ,あぁ,
y que la nieve te ardia . /そして雪はお前に緊伯する
Sone que el fuego se helaba /炎は冷えつき夢に見る
Ay , ay , ay , /あぁ,あぁ,あぁ,
y que la nieve te ardia /そして雪はお前に繋伯する
y por sonar imposibre , /そして叶わぬな夢にみる
sone que tu me querias /お前が俺を愛する夢に見る
y por sonar imposibre , /そして叶わぬ夢に見る
Ay, ay , ay . /あぁ,あぁ,あぁ,
sone que tu me querias . /お前が愛する夢にみる



注記:オスマン・ペレス・フレイレ/ピアニスト,作曲家/1877年1月29日生~1930年4月2日にスペインで没。彼は19世紀末から20世紀初期に活躍したアンデス音楽家。彼の母方の祖父はチリー大統領を勤めたラモン・フレイレ将軍である。その娘メルセデスは医者のコメリオ・ペレス・ブストスと結婚した。母親メルセデスは音楽趣味として息子オスマンの教育に強く影響させた。1891年に家族はオスマンを連れて内乱状態のチリーを脱出してメンドサに移住した。彼は博学者であり,また音楽的インスピレーションは万能かつ幅広く伝統血統のフォークロア歌集を創作して活動家でもあった。またタンゴも創作している。ひとつの例として,彼の活動は上流階級全般はタンゴを侮辱していなかった明白な証拠としての彼のテキスト的に裏ずけラれる。オスマン・ペレスはタンゴの演奏と音符解釈の容易にする為の独自なシステムを考案した。あの時代では彼のピアニスト家系には相当な悪理解を受けていたが,これは微弱な垂直線(16分音符)の対称的にコンバスの連結を中間に挿入するに成り立っていた。しかしながら,彼の並外れた重大さはインターナショナル的反響に由来するタイトル“アィ,アィ,アィ,”にいつも結ばれるが,このメロディーの詞句は民衆に強く印象付け,多くのアティスト達のインスピレーションへも影響さえ及ぼした。例としては同胞のビクトル・ハラ作詞“エル・シガリート(タバコ)”とビオレタ・パーラの“ケ・エ・サカード・コン・ケレールテ(愛するのはやめた)”やメキヒコ人キリーノ・メンドサの“シエリート・リンド(美しい空)”である。アルゼンチンに長く滞在時ウルグアイ娘マリア・アデラ・デ・ララと結婚して娘二人が誕生。その後1914年11月の事だが,彼の娘達リリィとメルセデスは幼少の頃“モデルノ”劇場にてカルデル-ラサーノ達の向こうを張り,父親オスマンのピアノ伴奏により公演を共にした。そして,彼女達は卓越した二重唱を組んでブエノスアイレスとサンティアゴの各高貴なサロンの数えきれないほど夜間興行で観衆を魅力の虜にさせた。また,レコードも録音している。オスマン・ペレスは後にスペインに移住。そこでも熱心に音楽界で活躍したが若くして1930年に他界した。 

2012年4月1日日曜日

カルデルのCDシリーズ:CD\3/9曲目

⑨:フロール・デ・ファンゴ(泥濘の花)/タンゴ/作曲:アグスト・ヘンティレ/作詞:パスクアル・コントゥルシ/歌:カルロス・ガルデル/1918年8月28日録音/
レコード番号#18012B/(注記)作詞家コントゥルシについて詳しくは当ブロクの2010年10月4日に記載した『ガルデルとタンゴの詩人,作曲家達(1)』を参照ください。

このコントゥルシ作詞の2曲目の“タンゴ”は後にナショナル劇場で公演された“カバレー・モンマルトレー”の劇中,女優マリア・ルイサ・ノタールにより披露された(1919年6月25日)。

Mina que te manyo de hace rato /御姐ちゃん...すこしの間にあんたの本性を身届けたぜ
perdoname si te bato /許しておくれ、俺があんたを暴露したのを
de que yo te vi nacer ,/俺があんたの生まれを覗いた事を
Tu cuna fue un conventillo/あんたの揺り籠はあの長屋
alumbrao a querosen , /白灯ランプの炎が灯りがあてていた...
Justo a los catorce abriles /ちょうど14歳秋の時
Te entregaste a la farra , /お祭り騒ぎに身を捧げ
las delicias del gotan , /タンゴの快楽ゆえ...
te gustaban las alhajas , /あんたは気に入った宝石類、
los vestidos a la moda /流行モードの着飾り
y las farras de champan , /そしてシャンパンへうつつ抜かし...

Anduviste pelechada , /あんたは幸運の坂を上って来た、
de sirvienta acompanada /付き添いの女中から
pa`pasar por nina bien , /良家嬢を装い澄まし、
y de muchas envidiada /そして、多勢のおんな勢に僻みされ
porque llevabas buen tren , /何故かと言えば贅沢品の着飾り、
y te hiciste chacadora , /やがて、あんたは悪鎖に手を染めた
luego fuiste la senora /その後で奥方に成りすまし
de un comerciante mishe /一人の成金商人の

que lo dejaste arruinado /挙句の果てに一文無し追い落とし...
sin el vento y amurado /銭無しに放り出し
en la puerta de un café , /カフェの扉まえに
des pues fuiste la amiguita /その後で懇ろ者に
de un viejito boticario , /老い扶けた薬剤師の...
y hijo de un comisario /それに、警察所長の倅が
todo el vento te chaco ; /有り金全てを貢ぎ込み...
empezo tu decadencia , /それがあんたの身の破滅のいきすぎの果て
las alhajas amuraste /手持ちの貴金属をも見捨てる破目
y bulincito alquilaste /四畳半部屋を借りた
en una casa`e pension , /安い間借り家

Te hiciste tonadillera , /あんたはこそ泥まがいに手出しして
pasaste ratos extranos /奇妙な一時をやりすごす
y a fuerza de desenganos /滅亡の力に
quedaste sin Corazon , /心失い
Fue tu vida como un lirio /あんたの人生はアヤメ花のよう
De congojas y martirios /多々な苦難と受難...
solo un peso te agobio…../唯押しかかりあんたを打ちのめした...
no tenia en el mundo ni un Consuelo /この世であんたは慰めも
el amor de tu madre te falto , /母の愛が満ちたりきゆえ...

Fuiste papusa del fango /泥沼に生えた美貌の女
y las delicias de un tango /一つのタンゴの無類快楽は
te arrastraron del bulin /愛惜の四畳半部屋へとあんたを誘い込んだ
los amigos te engrupieron /男仲間等があんたを惑わせ
y ellos mismos te perdieron /同じ輩らがあんたをどん底に突き落とした
noche a noche en el festin /踊り騒ぎ一夜ごと一夜ごと...