2011年11月4日金曜日

ガルデルのCD-3(6曲目)

⑥:テ・アコルダス?(憶えているかい?)/歌:ガルデル‐ラサーノ/サンバ/作者:ドミンゴ・ガリンデス‐ガルデル/1917年11月16日録音/レコード番号#180011A

この曲はパジャドールのガリンデスが作った詞をガルデルがトローバ風にアレンジした古風な恋の歌である。

Te acordas que fue una tarde /あの過ぎし黄昏時を覚えているかい
de un porrazo me dijiste /一気に呟く一言
yo de carino hago alarde /みせつけの逢い込めて
pa’l amor no seas cobarde /愛のために怖じつくな
atropella y te conquiste . /蹂躙して,そして口説き落とし
yo de carino hago alarde /見せつけの逢い込めて
pa’l amor no seas cobarde /愛のために怖じつくな
atropella y te conquiste ./蹂躙して,そして口説き落とし
Te acordas con tanta bulla /あれほどの口論を憶えているかい
y amorosa me decia /それに俺へ恋の呟き
soy tu paloma que arrulla /私はあんたの甘くささやく鳩
yo soy tuya , toda tuya ;/すべてあなたの,あなたのものよ,
y sin embargo me olvidas ./しかしながら,忘却のかなた

Soy tu paloma que arrulla /私は甘くささやく鳩
yo soy tuya , toda tuya /すべてあなたの,あなたのものよ,
y sin embargo me olvidas ./しかしながら,忘却のかなた
Y si te acordas mi china /愛しき女よ,お慕えているかい
de la canta por ventura ;/幸せの為に歌う
que seque bien la cocina /料理上手も承知済み
la chica de la vecina /隣のお嬢さん
y que a mi me leiga el cura ./俺に察する恋悩み

Y ya que vais a dejarme /それにおれを捨てていく
y te vais con otro criollo /そして,あのクリオージョと連れたって
yo pa poder consolarme /俺は慰めされる為に

tendre china que tirarme /チーナをつるして落としたい
de cabeza en un arroyo ./流れに頭から

注:china ;チーナ:この場合のチーナは中国人ではなくキチュア語(proviene de quichua)からの引用で少女あるいはメスの意味で,ごく親しい人にもこう呼ぶ。
leiga (レイガ); 古い時代の用語または田舎の人の使う言葉で”lea(レア)”読め,=動詞の leer(レール) ,“読む”,“察する”となる

原作者のドミンゴ・ニコデモ・ガリンデスは1876年9月5日のコルドバに生まれ,1943年4月20日,ブエノスアイレス没:彼はクリオージャ歌手として,また世間に関した悲惨なベールに被された悲しみの和解者として通常な俗事の“エスクリバス(代筆屋)”として人生を全うした。しかしながら,このバジャドールは最良の時代に属し,あの不適切なベールの語調タイプから分離し,教養伴う支持者層の心を捉える事を知り,総勢の尊敬を感受した。達人群と共にコントラプント(即興詩競演)に参加し,かの栄光な政治コミュンに囲まれ,また郊外のカフェも征服せしめ,長期にわたり友人達の輪の中心人物であった。“ドミンゴ・ニカデモ・ガリンデスの人物は真実の天賦派生と熟成したイントネーションと共に,クリオージャ精神を即興で歌う,すばらしいモソ(美男子)であった”。と雑誌P.B.T誌(1916年11月4日)は賞賛につきるコンセプトを捧げる記事を載せている。リオ,クルランド,ディ’アマト,ビェジテス等とその他とパジォー(即興で歌う),そして,前世紀の終わり,他のネイテブ崇拝者と一緒に“サント・ベガ伝承”のクリオージョセンターにおいて名声を手に入れた。
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2011年11月2日水曜日

ガルデルの魅力(続き)


さて,ガルデル即ち“ソルサル・クリオージョ”がこの歴史上に現れていなかったとしたら,少なくとも,このポルテーニョ界に“魔法使い”の居ないタンゴ界はどうなっていたか,それを想像するのは至極難しい。あの時代に生きたガルデルの存在は多大な重要な史実であった。あの完璧な微笑み,あのフランス人風の声と容貌(亜国人はなんとこの表現を好む事か),あの歌手俳優としての颯爽とした姿への魅力が多くの人たちによって語られている。その魅力の“姿”とは?。
あの“ゴミナ(ポマード)”髪型,あの何時ものスマートな“コテ・デ・フンジ(洒落た帽子のかぶり方)”で証拠づけられる“エレガンス”,真似のできない本物の“タンディー”。あの時代の報道によるとカルロス・ガルデルは当時の多くの“ペベタ(愛くるしい女性)”達を“その魅力”の虜にしたという。ポルテーニョ巷世間のパテトロ(遊び人)やピオラ(シモ)連中とオタリオ(間抜け者)達までが,彼ガルデルの動作や語りと服装,物腰のイミテーションに励む姿は滑稽な流行であった。フランスと北米バラマウント映画に歌手兼主役俳優としての栄華な凱旋は神話の糧になり,インターナショナルに至る成功は紛れも無い多大な人気は当時のタンゲーロ達の崇拝感動に等しく,また今日に至るまでも“その人気”は衰えてはいない。そして,愛想に満ちた(時には囁く様な)かたり上手,偉大なタレントの持ち主,独特の発声と歌スタイル。私生活では稀に見る好人物,寛大な金離れのよさ,数々の友人に囲まれた中のあの笑顔(時にはチラリと陰りの微笑)。これらの彼の特徴はレコードを聴く毎に蘇りかえる。見事な表現は次の例に並べてみると,喜びを歌った“ビクトリア(勝利)”,皮肉たっぷりな“アル・ムンド・レ・ファルタ・ウン・トルニージョ(ネジ一本が足りない世界)”,悲しい“シエギータ(盲目の幼女)”,隠された悲しみの“リィエ・パジャソ(笑え!ピエロよ)”,絶望的な“エス・エン・バーノ(それは無駄)”,愛の賛歌“ラモーナ”と“ソニア”,劇的なドラマ“スス・オホス・セラロン(閉じられし瞼)”,回想に浸る“カミニート(小道)”と“ボルベール(帰還)”,滑稽でもある“カスカベリート(小鈴)”,気高きロマンチズムな”エル・ディア・ケ・メ・キエラ(思いの届く日),悲嘆な“アマルグーラ(悲しみ)”,心痛な“トモ・イ・オブリゴ”,懐儀的な“ノ・テ・エンガニェス・コラソン(心を偽るな),英雄讃歌の“エロイコ・パイサンドゥー(パイサンドゥーの英雄)”と夫々テーマ事の情趣状態の演唱解釈は心の奥までくい込み,暫し感動の余韻に浸り込まされてしまう。


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