2011年10月29日土曜日

ガルデルの魅力を分析する

またまた,ガルデルとは関係の無い横道にそれてしまっていたが。ところでコントゥルシがモンテビデオのキャバレー“ムーランルージュ”で自作自演した“ミ・ノーチェ・トリステ”が余りヒットもせずに,そのうち人々から忘れられてしまう。あくまでも想像に過ぎないが,理由は“マル・デ・アウセンシア(不在の災い)”という陳腐な歌の題名と歌い手の演唱力,説得力に欠けた声の魅力などの乏しさではと思われる。
そこで躊躇した挙句のガルデルが生粋の魔術的な歌声で,このコントウルシの韻文詩歌を唄うと全く違う音楽次元を手に入れて“あれよ,あれよ!”とばかりに世の人の耳に広がり,本格的歌唱タンゴが湧き出る夜明けとなる。今日現在まで“ソルサル・クリオージョ”の並外れた説得力と魔法の声を持つ歌手は現われていないと言われている。では,その様な歌を唄うガルデルの不思議な魅力は何処にあるのか,そのファクターは何であろうか。

1):稀に見る音楽性に満ちた自然な声調で更に彼の口調と同じフォームな歌い方。
2):歳を越すごとに低くなる魅力溢れたバリトン(テノール?)を伴う並み外れた良く響く声。
3):未だに歌手何人も超越成し遂げられない理由はガルデルが唄う時の“歌詞と曲”の二つの事を同時に“感情”,“心の底から”,“エモーションを込めた”歌声で,その韻文の各一言一言を   伝える特別な意義と共に繊細な意思表示の独占的能力で“唄演技”をやってのける,無比の感情表現の才能である。
4):歌唱タンゴの歴史上に類例の無いドラマチックな唄声。
5):幼少年期から青年に達するまでの日々の生活からバジャドール達や俳優,オペラ歌手との身近に接し伝授された唄への技巧を学び。そして,成長と共に感情表現の素質が磨かれた彼の環境体験を回想するのは良い例である。
6):いつも歌う為に歌詞の意味内容にふさわしく歌う姿へ反映させたガルデルをより聴きこむと更に賞賛できる。それはカンシォンやフォルクローレを歌うレコード初期録音から歌唱タンゴをヒットさせ,無声映画時代とスペインやフランスへタンゴを普及させた功績と北米での映画活動と彼自身の数々の作曲した美しいタンゴ曲の成功と益々魅力の彼の幅広い歌唱能力を発見するだろう。
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2011年10月24日月曜日

ガルデルのCD-3(⑤ミ・ノーチェ・トリステ)



⑤:ミ・ノーチェ・トリステ(わが悲しみの夜)/タンゴ/歌:カルロス・ガルデル/
作者:パスクァル・コントゥルシ(昨年10月4日:ガルデルとタンゴの詩人達(1)参照ください)/1917年11月16日録音/レコード番号18010B/
(当ブログ昨年3月16日の“ミ・ノーチェ・トリステ”の誕生の経緯を載せて有りますので参考ください)

このタンゴは余りにも有名であり,今更語る事に及ばないのだが,コントゥルシが“ルンファルド”なる言葉をタンゴの歌詞に取り入れて,当時としては革新的な“味”を加味した事とガルデルの卓越スタイルによりタンゴ歌唱の新しい道を切り開いた歴史の始まりである。さて“ルンファルド”なる言葉は辞書によると“俗語”と訳されているが,なんと味気ない訳である。本来のルンファルド(スペイン語全体も)の響きは情緒があり詩的な響きすら感じられる。その“ルンファルド”をブエノスアイレス市住民が日常会話に常に前世紀から使ってきた“普通のことば”なのであるが。この国に来たイタリー人初めスペイン人や他のヨーロッパ諸国人らの移民として来た人々の使う“ことば”が一部の下層階級民や犯罪者の使う特殊的な“語彙”で差別的対象であった為,当時コントゥルシからこの“ルンファルド”が使われて歌われたタンゴ“ミ・ノーチェ・トリステ”の“詞”を見せられた(コントゥルシが“歌ったタンゴ”を聴かされた)ガルデルも躊躇して直ぐには自分のレパトリーに取り入れなかったという経緯がある。ところがこの象微的なタンゴ曲が盗作の疑いを擦り付けられたらしい。それはキューバの歌手アンヘル・サンチェスの歌ったバンブーコ“ローサ(バラ)”に酷似しているという。この歌詞の発表が1914年,当然コントゥルシの歌詞は1915年ごろの作である。

では下の歌詞を見てみましょう。歌詞が変えられている所は()で括った。後は全く同じである事に気が付くでしょう。

ミ・ノーチェ・トリステ/タンゴ/1915年作/作者:パスクアル・コントゥルシ
ローサ/バンブーコ/作者:アンヘル・サンチェス(渾名:キューバのプリンス)

Percantaa que me amuraste /(Sin motivo me dejaste)
俺を見捨てたペルカンタ(夜の蝶) /(理由も無く俺を置き去りにした)
en lo mejor de mi vida /すばらしい我が人生にて
dejandome el alma herida /俺の心に傷跡を残して
y espina en el corazon /その上心奥にとげまで
Sabiendo que te queria /君愛するのを知り尽くした上に
que tu eras mi alegria /君は我が喜び
y mi sueno abrasador /我が離せない夢

Para mi ya no hay consuelo /俺にはもう慰めすらも無い
y por eso me encurdelo /それゆえ俺は酔い溺れ
pa olvidarme de tu amor /君の愛を忘れ;る為に

Cuando voy a mi cotorro (solo a mi cuarto) /
俺のネグラに行く時 /(俺の部屋にただ行く時)
lo encuentro desarreglado /雑乱に出会う
todo triste, abandonado /見捨てられた,すべての悲しみ
me dan ganas de llorar /俺は涙ぐむ
Y me paso largo rato /そこにかなりのひと時をすごす
contemplando tu retrato /君の面影に瞑想
pa poderme consolar /慰めに居尽すため

De noche cuando me acuesto /夜半に寝付く時
no puedo cerrar la puerta /扉を閉められない
porque dejandola abierta /なぜかって,開けっぴろげに
me hago ilusion que volves /(volveis) ,君の帰り(同じ意味)を幻想して
Siempre llevo bizcochitos /いつも甘菓子を持参しつつ
pa tomar con matecitos /(“matecitos”)/マテ茶(“マテ茶”)を飲みつつ
como si estuvierais vos , / 君がそこに居るかのように
Y si vierais la catrera /ベッドに居る如く
como se pone cabrera /悪機嫌仕草のような
cuando no nos ve a los dos /二人の姿が見え無いとき

Ya no hay en el bulin /(tocador)/愛の巣(化粧台)はもう無い
aquellos lindos frasquitos /あの華麗な小瓶も
adornados con monitos /(lacitos)リボン(ちじめ)かざりと
todos de un mismo color /すべて同じ色あいの
Y el espejo esta empanado /鏡はぬれ曇り
pues parece que ha llorado /こうして,泣きぐむように
por la ausencia de tu amor /君の愛の欠如ゆえ

La guitarra en el ropero /ギターは洋服かけに
todavia esta colgada /未だにかけたまま
nadie en ella canta nada /(dice nada)/何人も彼女へ歌う事も無く(何言も無く)
ni hace sus cuerdas vibrar /あの縄も揺ぎ無く
Y la lampara del cuarto /部屋のランプもまた然り
tambien tu ausencia ha sentido /またも君の不在は意識させられ
porque la luz no ha queridos /なぜか光も途絶えた如く
mi noche triste alumbrar /光に透かす,わが悲しみの夜
注:太字の単語がルンファルドなのだが,意外に少ない事に気が着くでしょう。

この歌はガルデルが歌い,同じ年にロベルト・フィルポがオルケスタのみで演奏。1918年4月に女優マノリータ・ポリがサイネテ“ロス・ディエンテ・デル・ペーロス(犬の牙)”の中で歌い,徐々に有名になっていく。そして,1919年にスペイン人歌謡歌手マリア・タバゥがハバナに来た時にこの“ミ・ノチェー・トリステ”歌っているのだが。この時にハバナの音楽出版社はポルテーニョ版の歌詞をそのまま転用して新譜バンブーコ(コロンビア民謡)“ローサ”として発表。それを全くアンヘル・サンチェスに知らせずに,この曲のリズムを8分の6拍子に変えて歌わせたのが真相ではないかと思われる。アンヘル・サンチェスは1934年10月18日日付でサダイクのフランシスコ・ロムート会長に問題にされている“発表”は1914年に出版されたもので彼のメロディーはブエノスアイレスでは知られては居なく,コントゥシは容赦なくこのバンブーコを盗作したと手紙で告発している。しかし,キューバでペペ・サンチェスのボレロ「ポル・ケレルテ・ロカメンテ(気が狂うように愛してる)/デ・エスパーニャ・メ・デステラーロン・ビジャナメンテ(スペインで悪もの様に追われた)」の歌詞で始まる“ローサ”のパリ音楽祭コンクールに入賞したオリジナル歌詞が存在しているのが暴露されるに至り,コントゥルシは無罪である事が証明される。

(*注:データーはティノ・ディエス記“五戦の線の間から...”とグアダ・アベジェ記“ガルデル・ブエノスアイレス”#11を参考にした)

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2011年10月20日木曜日

ガルデルのCD-3(④プンターナ)

④:プンターナ(サン・ルイスの出身者)/サンバ/
歌:ガルデル-ラサーノ/作者:ガルデル-ラサーノ
(原作:ホセ・ベティノティ)/
1917年11月16日録音/レコード番号#18010A/

Hay una criolla en la rueda/人ごみにいるあのクリオージャ娘
que a mi me tiene penando ,/おれ自身を苛める,
ella se hace la que n’oye/彼女は意にもかけない
cuando yo le estoy cantado/俺が歌っている時も .
La criolla que yo les digo/俺の呟き,クリオージャ娘よ
no es alazana ni zaina ,/金髪でも栗毛でもなく
y en mi pecho seta metida /我が胸にくいこむ
como cuchillo en la vaina ./厄介な脅迫如く.
Lloro como llora un nin~o/泣くさ赤子の如く泣きじゃくる
porque no me corrisponde ,/なぜか愛し合うにはそぐわない
to te llamo , tu t’iscondes/きみをよび,君は雲隠れ
burla’ndote de mi carin~o/俺の慈しみを嘲る .

Ya no quiero ma’s amor ,/俺はもう恋はご勘弁
ya no quiero ma’s falsias ,/偽りごとはもうご勘弁
un mal con un bien paga ,/この不運に報え入る,
ya lo sabia , ya lo sabia ./すでに俺は悟っていた,すでに悟っていた.

Esta cancio’n la he cantao/この歌を君に歌ったさ
en casa del taita Pancho/バンチョおやじのところで
y uno guasus por oirla/そして,冗談を聞くために
voltiaron la puerta’el rancho/飲み屋の扉を開けひろげ .

プンターナとはサンルイス州出身の女性をこう呼ぶらしい。素朴な地方の可憐な乙女に心を射止められない悲しみ...ガルデルは素朴に切なく,切なく心を潤ませる唱声で訴えで迫ってくる。
前の3,4曲の原作者ホセ・ベティノティについては今年7月13日のガルデルとフォルクローレ(4)を参照ください。
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2011年10月17日月曜日

ガルデルのCD-3(③アディオス...ケ・メ・ボイ・ジョランド)

③:アディオス...ケ・メ・ボイ・ジョランド(泣きながら俺は行く,さよなら...)

カンシオン/歌:ガルデル‐ラサーノ/作者:ガルデル-ラサーノ
(原作:ホセ・ベティノティ)/
1917年11月16日録音/レコード番号#18009A/

Adios , que me voy llorando ,/泣きながら俺は行く,さよなら.
me voy llorando y te dejo ./君を捨てて,そして泣きながら俺はいく
Y aunque no te vuelva a ver ./たとえ君をかえりみる事無くとも
con la esperanza me alejo /離れ行くとも願いを篭めて
Ay , si , si ! Ay , no , no ! /アィ,きっと,きっと! アィ,それは無い,それは無い!
Ingrata , me has olvidado /君は俺に愛想を尽けた,情けなし
ma.l haya tu corazo’n ! /君の心は悪魔やどり

Donde estan los juramentos /愛の誓いはどこそこに
que me hicistes una tarde ? /あの黄昏時のつぶやきは?
Todo lo ha llevado el viento ,/風がすべて連れさり行く
y en una forma cobarde /そして,それは唯の弱虫もの
Ay , si , si ! Ay ,no ,no ! /アィ,きっと,きっと! アィ,それは無い,それは無い!
y en una forma cobarde /そして,それは唯の弱虫もの
mataste mi pensamiento . /俺の疑念にとどめ果たす
Ingrata , mal pagadora /悪きむくわれぬ人,情け無し
y mala de sentimiento ,/その上,不憫な恋こころ
que si algo hay que me devora ,/このわが身をこがす何かのために
es el arrepentimiento /それは悔根ゆえ

Ay ,si , si ! Ay , no ,no ! /アィ,きっと,きっと! アィ,それは無い,それは無い!
Es el arrepentimiento /それは悔恨ゆえ
de haberte amado hasta ahora ./今まで愛し遂げたゆえ

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2011年10月13日木曜日

ガルデルのCD-3(②エル・セニュエロ)

②:エル・セニュエロ(誘惑)/エスティーロ/作者:ラサーノ-ガルデル/

歌:カルロス・ガルデル/1917年11月16日録音/レコード番号#18009B/










Sos para mi como el sol /君は俺の太陽のよう
ya no puedo pretenderte/もう求愛はできない
ni tan siquiera quererte/愛することすらできない
como el sol al mirasol ./向日葵への太陽のように.

Sos para mi como el sol/君は俺の太陽のよう
y por haberte olvidao/君を忘れてしまった為に
mis ojos se han deslumbrao/俺の眼差しは当惑され
con tu luz irresistible ;/耐えがたき君の光に
de este amor mio imposible/手に負えないこの愛の
a sufrir me ha condenado ./おれは突き落とされた,この悩みに

En vano entre los zarzales/木苺の茂みの中で無駄なこと
lloro buscando consuelo ,/慰みを請い泣きぬれる
en vano buscando al cielo/天を仰ぐが無駄な事
le secreto mio males ./俺の苦しみは秘め事ゆえ

En vano mando zorzales ,/鶫に托しても無駄な事
a cantar vengo a tu reja ,/君の格子窓へ歌いきても
los empuja la cabeza/頭かかえて
y deslumbrado se va/とうわく上に離れいく
pobre zorzales que estan/哀れなつぐみの群れ
cantandote al sol que pesa ./きみへ歌いさえずりも陽がかげる

ガルデルはポピュラー歌手として人気を獲得する夜明けの曙の覘きから,“バリトン”の歌声を響かせ,聴衆フアンの心を魅惑の虜に...この歌もパンパの木立にただずんで歌う失恋の歌。


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2011年10月10日月曜日

ガルデルのCD-3(①:エル・モーロ)


ガルデル全コレクションに戻り解説を続けていきます。














①:エル・モーロ/タンゴ/作詞:フアン・マリア・グティーレス/作曲:ガルデル-ラサーノ
歌:ガルデル-ラサーノ(口笛は誰か吹いてるのでしょう)とロベルト・フィルポ楽団の演奏
1917年11月16日録音/原盤レコード番号583-137
CD‐2 ;10曲目のカンシオンと同じ詞と曲であるが,ロベルト・フィルポによりタンゴへ編曲された。

この“エル・モーロ”はガルデルが歌った初めてのタンゴらしき曲でしょう。ガルデルとフィルポの共演はキャバレー“アルノンビージェ”での始めての共演から,この録音が終わった後にブエノスアイレス州地方へ共に巡業へと出かけたとか,他にも数回の共演があるが,レコード録音はこれだけの“隋一”の貴重なものです。この録音はフィルポ楽団単独のみで予定されていた所へ,楽団メンバーの“闘牛登場”との掛け声に誘われたように,牛角を付けたガルデル-ラサーノらがスタジオに乱入した挙句に,冗談半分に牛の如く這い回り,この曲を歌い始めたのが,そのまま録音が続行されたのだそうです。重厚なフィルポのピアノのタンゴ・リズムに乗った軽快な歌い回しで,失ってしまった愛馬を回想した思いが胸に迫ってくる美唱。このSPレコードのラベルにはガルデル‐ラサーノ等の名前は不思議な事に書いてありません。これはフィルポが冗談の“仕返し”をしたのでは(?)と思われます。

ここでこの曲を演奏したマエストロの経歴を簡単に紹介しましょう:
ロベルト・フィルポ(1884510~1969614日)ピアニスト,作曲家,ディレクター。ピアノは19歳の時に“インデペンデンシア(独立)”,“アポロ”,“ベヌス”の作者アルフレッド・ビジャクアに師事。4年後の1907年に“ラ・チョーラ(臆病)”,“エル・コンピンチェ(共犯者)”,“ラ・ガウチャ・マヌエラ”を作曲発表し,作曲家としてのインスピレーションを披露した。その後バイオリン奏者,フランシスコ・ポスティグリオーネとクラリネット奏者のファン・カルロス・バサンらとトリオを組み“ロ・デ・ハンセン”にデビューした。フィルポは1913年にオルケスタを結成。“アルガニャラス”,“センチメント・クリオージョ(クリオージョの悲しみ)”,“デ・プーラ・セパ”,“マレハーダ(うねり,不満の声)”等の作曲。翌年にはロマン溢れた曲“アルマ・デ・ボヘミオ(ボヘミオの魂)”を世に問い,幸先の良い成功を感受した。有名な“エル・アマネセール(夜明け)”,“エル・ラピド(急行列車)”,“エル・アプロンテ(準備,競馬の試走)”,“モンテビデオ”などが多数上げられる。(ガルデルは191710月のチリー,ビニャ・デル・マール公演の時に,この“モンテビデオ”曲でタンゴダンスを踊り,優れたミロンゲーロ振りをチリー人観衆に見せつけたエピソードが語られている)。もう一つの有名曲のフェゴ・アルティシアル(花火)はエドアルド・アローラスとの合作である。彼フィルポは初期からタンゴにピアノを導入してオルケスタ・ティピカのスタイルを確立させ,タンゴ発展に最も奨励した重要な一人に挙げられる人物である。また,彼の演奏はペダル使いを手始め,より重厚なレソナンスをかもし出す洗練されたスタイルの持ち主であり,ロマンに溢れたタンゴを世のファンに提供の上に,本格的古典タンゴの数々を堪能させてくれた。
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