2010年11月14日日曜日

ガルデルとタンゴの詩人、作曲家達(2)


 1)セレドニオ エステバン フローレスは20世紀初期のポルテニョタンゴ界の澄み切った天空の様に輝ける文芸と詩による、偉大な美的集団と著名な詩人達のパスクアル コントウルシ、グランシスコ ガルヒア ヒメネス、マヌエル ロメーロ、フアン カルーソ、エンリケ カディカモ、ガビーノ コリア ペニャロサ、エンリケ サント ディセポロらの面々達に属する中の一員であり、ガルデルが彼の多くの作品を世に反響させた。

彼は1896年8月3日にブエノス中心地である、コリエンテスとタルカゥアーノ通りで生まれ、すぐに両親はビジャ クレスポに住み替えた。ここの住民達の多勢は異文化層移民とクリオージョ達の混合のポピゥラー文化団内の核心で幼児少年期を過ごす。青年期はボヘミアン習性でフライ級ボクサーになり、キッドセレのあだ名でチャンピオン戦に挑戦の上、ボクサー マリオ レリーに敗北した後に足を洗い詩作に没等する。彼の知人達による人物描写は気取った説教好きなもったいぶる風貌であったらしい。又、ビジャ クレスポ街中のミルクバー『ラ プーラ』のテーブルに座り詩を書くか、友人仲間達と雑談する姿を朝方頻繁に見かけた。新聞雑誌に投稿することを重ねて、ウルティマ オーラ紙のコンクールに詩『ポール ラ ピンタ』を投稿して入賞。この結果、ガルデルと知り合い、その上でこの詞に曲を付けるよう彼に依頼して、出来たのが『マルゴー』である。だが、余りにも若増(当時24,5歳)なセレドニオの風貌に最初の時点でガルデルもラサーノもこの作品がセレドニオの真の著作とは信用せず、彼のポケットから取り出したよれよれの紙に走り書きされた『マノ ア マノ(五分と五分)』の詞を見るまでと彼の常時持参の『フローレスとジュジョス(野草類と花々)』と題されたフローレスの作品集を見せられてからの経過がある。

ガルデルが取り上げた彼のタンゴは21曲に及び、エル ブリン デ カジェ アジャクチョ、アンティ ペペタ、テンゴ ミエド、ビエホ スモーキング、カンチェーロ、パンなどの以下多数歴代のヒット曲ばかりでルンファルド用語に埋まれたポルテーニョ世界を彷徨する姿を描いた詩集である。ガルデルは貴婦人方を強く激怒させる詩の内容であると謙虚に『コリエンテス イ エスメラルダ』を録音しなかった。


Margot(マルゴー)
タンゴ(1921年)
作詞:セレドニオ エステバン フローレス
作曲:ホセ リカルド/カルロス ガルデル
オデオンレコード18033
歌:カルロス ガルデル
伴奏ギター:ホセ リカルド

Se te embroca desde lejos,pelandruna abacanada,
遠くからでもあんたと見破べる、貴婦人気取りの不道徳女、
que has nacido en la miseria de un convento de arrabal…
あんたは下町の長屋の貧しき生まれ
porque hay algo que te vende, yo no se si es la mirada,
あんたは裏切る何かを備え、俺には掴めないその眼差し
la manera de sentarte, de mirar, de estar parada
あんたの座り仕草か、目つき、立ちすがた
o ese cuerpo acostumbrado a la pilchas de percal
キャラコ衣装に着こなされた仕草
Ese cuerpo que hoy te marca los compases tentadores
その体つきは今あんたに魅惑の拍子が刻む
Del canyengue de algun tango en los brazos de algun gil,
ぐうたらな奴に抱かれ、あのタンゴのリズムを刻み
mientras triunfa tu silueta y tu traje de colores
あんたの凱旋影姿と輝やしい衣装
entre el humo de los puros y el champan de armenonville
アルメノンビルのタバコの煙とシャンパンの間で

Son macanas, no fue un guapo haragan ni prepotente
それはあきれ事、怠けたしゃれ者でも優れ者でもなく
ni un cafisho de averias el que al vicio te largo
ヤクザなジゴロでもなく、不純があんたを没落させた
Vos rodaste por tu culpa y no fue inocentemente
あんたの罪の上に天真爛漫でもなきあんた自身で転がり落ちて
berretines de bacana que tenias en la mente
裕福になりたさの気まぐれが過ぎた憧れが
desde el dia que un magnate cajetilla te afilo!
気取りやの財産家にあんたが媚びたのだ

Yo recuerdo, no tenias casi nada que ponerte,
俺は思い出すが、衣装も持たず、
hoy usas ajuar de seda con rositas rococo,
今はロココ調ピンク色の絹衣装をまとう
me reviente tu presencia…pagaria por no verte…
あんたが現われると俺はへきへきだ...見ないためなら銭くれよう
si hasta el nombre te han cambiado como has cambiado de suerte
あんたは名前さえ変え運命まで変えたように
ya no sos mi Margarita,ahora te llaman Margot!
もう俺のマルガリータでもない、今はマルゴー呼ばれ

Ahora vas con los otarios a pasarla de bacana
今は間抜け者に囲まれて貴婦人気取り
a un lujoso reservado de Petit o del Julien,
優美な指定されたぺチやフリエンに現われる
y tu vieja, pobre vieja! Lava toda la semana
けれども、あんたの母さん、哀れな母さん!毎週物洗うばかり
pa poder parar la olla,con pobreza franciscana,
貧しきフランシスコ修道者と共に請うごとく
en el trste conventillo alumbrado a kerosene.
灯油ランプに照らさる悲しい長屋...

ルンファルドの説明
enbroca:mirar filiando:人相などの特微をみる、vigilar:見張る
pelandruna:persona abandonada en su aspecto:外観を注意しない人物、perezoso:怠け者、
abacanada:bacana からの意味patrona、お上さんmujer adinerada成金女になる
convento:本来は修道院の意味だがconventillo(イタリー南部地方の共同住宅)と同異語
pilchas,vestir:着る、まとう、canyengue:modo quebrado y con orte de bailar el tango:
タンゴダンスの踊りスタイルのステップ、gil:imbecil,tonto,estupido:間抜け、
macanas:estupidez、tonteria:馬鹿げたこと、cafisho:cafiolo:rufian 、proxeneta:ひも、ジゴロ
berretines:capricho:気紛れ、bacana:patrona:お上さん、parar la olla:直訳すれば鍋を立てるだが、trabajar para ganar el susutento diario :要するにその日その日の糧を得るために労働すること(情けを請う)
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2010年11月9日火曜日

ガルデルとタンゴの詩人、作曲家達(1)

(8)パスクアル コントウルシが作詞したタンゴの内で、ガルデルが取り上げた曲で他に次の6曲がある。デスディチャ(不運)作曲:アグスト ヘンティル、ラ ミーナ デ フォード(フォードの女)、カ フェラタ(ひも)、ラ エ ビスト コン オトロ(あの男と居たのを見た)、ポブレ コラソン ミーヨ(我が悲しき心)、ベンタニータ デ アラーバル(場末の小窓)以上の作曲はアントニオ スカタッソ、プエンテシート デ プラタ(銀の小橋)作曲:フランシスコ カナロ。また、コントウルシのタンゴは他に数曲在るがガルデルは歌っていない。




アグスト ウンベルト ヘンティルはピアニストで作曲家、1891年9月11日(イタリーローマ生まれ)~1932年3月18日没、ピアノ、ギター、アコーデオン、バンドネオンの楽器を奏きこなす。アリピ、コントウルシ、カナロ、ロムート、パブロ ポデスター、オリンダ ボサンらと親交があつた。1913年に初めてタンゴ『エル ルナルシート』、『ラ トトーラ』を作曲する。ガルデルが歌った初めてのタンゴ『フロール デ フアンゴ(泥濘の花)を作曲した。ガルデルと知り合ったのはコリエンテス通りのカフェで彼が歌っていた、まだ有名になる前の頃からである。ヘンティレは劇場、ラヂオなどには出演しなかった。



アントニオ スカタッソー:1886年2月28日(イタリー ナポリ生まれ)~1956年7月29日にブエノス アイレスにて没、バンドネオン奏者、作曲家、他にマンドリン、ギター、ピアノも演奏した。1913年頃からアグスト ベルトのバンドネオン、ドミンゴ サレルノのギターと彼のマンドリンのトリオでカフェ『エル パルケ』に出演デビューした。当時ガルデルの競争者のコルシー二と活躍し,サイネテの出し物歌を多く作曲している。また、ガルデルがパリでヒットさせた『ジャ ノ カンタ チンゴロ(チンゴロ鳥はもう歌わない)』も彼の作である。

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2010年11月5日金曜日

ガルデルとタンゴの詩人、作曲家達(1)

(7)『バンドネオン アラバレーロ(場末のバンドネオン)』、このタンゴは1928年にバンドネオン奏者バチーチャ{a}の曲にコントウルシが詞を付けたもの。まず初めにビアンコーバチーチャのオルケスタ{b}の演奏でホセ コーエンが歌い披露され、フランシスコ カナロはチャルロの歌で録音。同年の10月20日にガルデルはホセ リカルド、ギジェルモ バルビエリ、ホセ マリア アギラール達のギター三重伴奏でフランス オデオン レーベルに録音した。イルスタ‐フガソー‐デマ―レらのトリオ アルヘンティーノでスガソーの歌で録音。近年ではトロイロとロベルト ゴジャネチェ、エドアルド デル ピアノとアンヘル バルガス、フランシスコ ロッンドとフロレアル ルイス、ピアソラとネリー バスケス、サルガンとリべーロ、彼等達の有名オルケスタと有名歌手のコンビの録音など、オスバルド プグリエーセ、ラウル ガレーロ楽団らの名演奏がある。とこで、この『バンドネオン アラバレーロ』の詞を書いた主人公パスクアル コントウルシは1927年からのパリ滞在中に異常なまでの酒に溺れ、生活の荒れによる精神異常に侵された時期に、彼の最後のあがき的な彼自身の狂気のほの暗い心中を詩に托した作品である。



Bandoneon arrabalero
場末のバンドネオン
viejo fueye desinflado,
縮まつた古いジャバラ
te encontre como un pebete
餓鬼のように出遇した
que la madre abandono,
母さんに見捨てられ、
sin revoque en las paredes,
その壁には思切りも無く、
a la luz de un farolito
ガス灯の光に
que de noche te alumbro..
おまえを照らし...            

Bandoneon
バンドネオンよ
porque ves que estoy y cantar ya no puedo,
なぜおれがそして、もう歌えない
vos sabes
おまえは知っている
que yo llevo en el alma
俺が魂を引きずって
marcao un dolor.
痛み痛恨をとどめ

Te lleve para mi pieza
おまえを俺の部屋に運び込み
te acune en mi pecho frio…
おまえをわが冷えた胸にあやす...
Yo tambien abandonado
俺もまた捨てられた
me encontraba en el bulin…
貧しき部屋にいて...
Has querido consolarme
おまえは俺を慰めしようとし
con tu voz enroauecida
そのしわがれ声で
y tus notas doloridas
おまえの痛みの調べ
aumento mi berretin.
我が気紛れも増す、


エンリケ カディカモの話ではバチーチャはこのタンゴの作者では無く、オラシオ ペトロッシ{c}が1925年のパリでビアンコ‐バチーチャ楽団に参加していた時に作曲し、バチーチャに千フランで版権を売ったのだとか、、、ある夜のカフェ『パレルモ』の店終い時にギタを抱えたペトロッシは楽器をしまい帰り支度を済ましたバンドマスターのバチーチャに近ずき『今、作ったばかりのタンゴを披露しようと』徐にギターでインスピレーションの彷彿したテーマのメロディーを奏で、聞き手(バチーチャ)は真心賞賛の意で讃え。そこでぺトロッシー曰く、『この曲の感想は?』、

大あくびを抑えながら(もう、晩いんだからとばかりに,,,)
バチーチャ答えて『いい感じ、祝福するぜ!』、
ペトロッシー大声で『千フラン』、
仰天したバチ―チャは聞き返す『何の事?』、
ギター奏きは笑いながら『これ売るよ、今晩だけのチャンス』、
バチーチャは彼がボヘミアン上のやむ得なく使い果たす為の金と思い、千フラン取り出し、
借金の申し出と考え親切に受け容れたが、、、
ギター奏者は借金したことは直ぐに忘れるからと申し出を断り、『借金はだめ、、、千フラン早く、早く』この金額により、この作品『バンドネオン アラバレーロ』タイトルそのままに版権名義が変わる経緯である。そして、コントウルシ詩人登場で世に問われる事になる。

{a}バチーチャの本名はフアン バウティスタ デアンブロヒーオ、バンデオン奏者。1890年3月2日ラプラタ市に生れる。オルケスタビアンコ‐バチーチャでパリに乗り込む。

{b}ビアンコの本名はエドァルド ヴィセンテ ビアンコ、1892年6月28日生まれ、バイオリン弾き。1913年アルフレッド ゴビ(父)、タンゴダンサーと詩人でもあるエンリケ サボリード等達と『光』の都市パリにタンゴ普及活動の開拓者の役目を果たす。

{c}オラシオ ペトロッシは1896年10月21日生まれ、1915年ホセ リカルドとエリアス フィリピ‐フアン ゴンサレス カスティジョ劇団の出し物、題名「フアン モレイラ」劇中でガルデル‐ラサーノ二重唱が歌った『フェスタ クリオージョ』のギター伴奏に参加。                             
ガルデルとはこの時期から旧知の仲、1933年パリでかの有名曲『シレンシオ』の作曲に協力。同じ年後にガルデルの亜国地方、ウルグアイ巡業とレコード録音にバルビエリ、リベロール、ヴィバス等とギター四重奏に参加。

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